こちらの企画 http://tuta801tuta.wix.com/kaidankinfuk (金福演習3)への投稿作品2本目です
福富が寝入り端にこんな話をしてくれたことがある。
中学生の頃の話だ。『俺は福富寿一だ。』そう名乗って秦野の山に現れ悪さをする男がいたらしい。素行悪く振る舞うものだから、福富は決まりかけていた推薦の話が流れかけて、困ったようだ。
「それでどうしたんだ」
福富が無事に名門箱根学園へと進学し、二年のときにはIHに出ていたのを知っているから俺がそう訊くと、道の上で見つけて追い抜いて反省させた。それだけの話というわけだった。福富を名乗る不埒な男は、そのあと調子よく福富と同じ高校へ進学し、同じ自転車競技部でペダルを回していたというからおもしろい。俺が、お前は強い男だと言って笑うと、福富もニヤリとほくそ笑んでそれからこんな話を続けた。
高校一年生の夏の終わりだ。秦野の山にまた、偽物の福富寿一が現れた。
以前のときは、福富寿一を名乗ってはペットボトルを捨てたり乱暴な走行をしてみせたりとしたそうだが、今度の福富は違っていて、山の中腹のとある直線で勝負をしかけてくるそうだ。それも、速い。その頃には、福富も、今井という件の不埒な男も学校の寮に入っていて実家の秦野のあたりには正月に帰るくらいだったから互いに身に覚えのない話だったらしい。
目撃談には奇妙なうわさがあった。秦野の道で、福富に勝負を持ち掛けられても走ってはいけない。勝負を受けたら決して追い抜かれてはならない。直線で抜かれたら、後日必ず事故に合う……。なんとも怪談めいた話じゃないか。今度の話は、福富の評価や内申に響くものではなかったから、実害、というものは福富にはなかったかもしれない。だから偽物をとっ捕まえようと、土日を使って実家へ戻ったのは好奇心というのが大きかったのだろう。
国道246号を伊勢原から秦野方面に向かう途中……、俺はあっちの方の地理には詳しくないからここは間違っているかもしれない。坂の頂上にある国道の何とかというトンネルで偽物は現れるという。薄暗いトンネルを選ぶのは、容姿が似ていないのをごまかす為かもしれないと福富は思ったらしい。山中にあるその広い国道をロードレーサーたちが走っていると、トンネルの中で声をかけられる。俺は秦野第一中の福富寿一だ。
「なんだ、中学生のお前を名乗るのか?」
「ああ、俺を『秦野第一中の福富』としてしか知らないんだろう」
妙な偽物だ。俺が口を挟んだことに気を悪くするでもない福富は話続ける。そいつは後ろから声をかけてきて、どちらが先にトンネルを抜けるか勝負を持ち掛けてくるそうだ。どうだ、俺から逃げてみろ。横柄な挑発に、ロードレーサーたちはなにくそとペダルを回すのだが、これが、速い。あっというまに車輪の音が近づいて、気づいたときにはトンネルの出口の光に溶けていく白っぽい背中を見送っているのだそうだ。追い負かされた方が、その後のレースや練習で転倒の事故を起こす、という部分のうわさについてはおまけのような話だ。真偽のほどはわからない。だが福富も、そいつと走ったらしい。
「それで、どんなやつだったんだ?」
俺もすっかりこの怪談じみた話に魅了されて、そう福富に促した。ところが肝心なところで福富は「さぁな、分からん」などととぼけるのだった。いま一緒に走ったと言ったじゃないか。分からないということはないだろう。いや、分からないものはわからない。そんなじれったい応酬の末だ、
「俺はそいつに抜かされなかったからな」
ふん、と鼻をならした福富に俺はしばらく呆気にとられた。そうして福富の得意そうな顔に気が付くと今度は笑えて仕方がないのだった。なんだ結局、これが自慢したかったのか。目の前の金髪をぐしゃぐしゃに撫でてやると、よせ、やめろと言いながら福富はくつくつ喉を鳴らした。
「なるほど、さすがだ。お前は強い」
黒目がちの強気な目が満足そうに細められる。
にせものに抜かされなかったからかどうだか知らないが、結局、福富はその後の練習でもレースに出ていても転倒の事故を起こすことはなかったらしい。ただ、トンネルを出るときに少し気になる言葉を聞いたという。福富の言は何げなかったが、俺は以前から違和感のあった、俺を引っ張ったのは本当に福富かという疑問にまたたどり着いてしまった。
『今度は後ろから掴んでやるぞ』
スポンサードリンク