戦場に私を見つけた彼の目がガラス玉のようにキラキラと輝いた一方で、私の方ではなにか重い石でも胸に落ちたような感覚を受けたのはずいぶん対照的なことでした。
私の名前はテツジン初号。戦争のために作られた自立思考する人型兵器。機械兵テツジン、その最初の一台です。自立思考する……とは言いましたが私はいわゆるロボットですから、自ら感じ、考えるための知識や経験、善悪の基準、そういったものはあらかじめに登録されたデータによるものです。ローデータとでも言いましょうか。それはいずれ私の知識や経験が増え、独自の人格を獲得する過程で上書きをして消してしまう予定のものでしたが、今の時点では私には私を設計した博士の経験が記録されていました。それで私に駆け寄る彼の名前が分かったのです。
「アスタル・テイム」
私が呼ぶと彼はもう嬉しさに頬を紅潮させて破顔しました。
彼についての記憶はこうです。
ある街の薄暗い路地裏で博士は十歳になるアスタル・テイムと出逢いました。出会ったというよりは、風に飛ばされ窓から出て行ったノートの切れ端を追っていった先で、それを少年が深々と見つめているのを発見したのです。サイズの合わない汚れたシャツ、痩せた手足に裾の綻びた半ズボン、この辺りにはありふれた浮浪児のように見えました。
「拾ってくれてありがとう。それは大事なものなんだ」
体の弱い博士は、慌てて駆けてきたためにあがってしまった息を整えて、彼にそう呼びかけました。
声をかけられた子供は驚いたのでしょう。びくりと肩を跳ねさせて博士を振り返り、それから手に持っていた紙を素早く自分の背中に隠しました。猫のように用心深い。少し眦の尖っているのと、左右で色の違う大きな目のせいで余計にそう思ったのかもしれません。上目にこちらを睨む顔が敵意を含んだものであるのに驚いて、博士は、おや、と思いました。少年は唇を尖らせます。
「でも、俺が拾った」
だからこれは自分のものだとでも主張したいのでしょう。強情な口ぶりでした。けれど心底にはその理屈が通るものでないのを分かっているのも見て取れる、不貞腐れた態度でもありました。良いものは結局自分のものにはならないと知っている。そんな印象です。
「そこに書いてあるものが気に入った?」
博士は瞬きして、少年に問いました。実のところ博士の携わっている仕事は、人々にあまり好意的に受け入れられていません。病気がちで家に閉じこもることが多く、理解を示してくれる個人的な友人や恋人も博士にはいませんでした。それだから今、見知らぬ少年がまるで宝物を独り占めしたいように自分の設計図を握りしめて離さないのが嬉しくて、博士はたちまちそわそわしてしまったのです。
「他にもそんなのを見たくはない?」
少年の顔に困惑と動揺が浮かびました。疑い深い目で博士を見返しながら彼はしばらく狭い額にめいっぱい皺を寄せ反抗的態度を保とうとしていましたが、しかし、とうとう好奇心を抑えきれなかったのでしょう。秘密を明かすような囁き声で博士に訊ねました。
「……これはなに」
「機械兵だ。私たちの代わりに戦争をする」
少年の青白い頬が少し血の気を帯びて、傍目にも彼が興奮したのが分かりました。への字に結んで生意気だった印象の唇が少し緩み、思わず零したというように呟きます。
「すげぇ」
かっこいいと思う。子供の賛辞に博士はにっこりしました。
◇
アスタル・テイム、というのがその少年の名前でした。物心ついたときから親はなく、物乞いや街の大きなゴミ収集場から使えそうなゴミを拾ってきてはお金に変えて暮らしていました。彼の持ち物は少なく、名前でさえ彼の身につけていたサイズの合わないシャツの襟の裏にそのように書かれていたのを他人に読んでもらってそう名乗っているらしいのです。
そしてそのように持ち物の少ない子でしたから、博士の飛ばしたノートに描かれた私の姿に――それはまだ構想の段階にある非常に中途半端なものでしたが――夢中になったのです。絵本や玩具を手にしたことのないアスタルには、無骨な私の設計図がそれらの代わりだったのでしょう。
それからしばしば、博士はアスタルを自身の部屋に招きました。
「なぁ、色は赤く塗ろうぜ」
「どうして」
「かっこいいから」
博士の仕事場の机によじ登ってノートを手に取り、アスタルが好き勝手言うのを博士は咎めませんでした。それどころか目を細めて熱心に、アスタルの言うことに耳を傾けていたようです。子供が喜ぶようなチョコや棒付きキャンディーを部屋に切らせず置くようになったのもこの頃です。
「そうだね、君の左目と同じ色だし」
戦争用の人型ロボットをどんなものにしたらいいのか、博士はずっと思い悩んでいたのですが、アスタルが通ってくるようになってからはパッと霧が晴れるようにその方向性が明確になりました。
子供を守るヒーローのような華々しい姿に。
博士は私をそう作ることに決めたようです。私の設計書は当初の予定よりも随分見栄え良く書き直されました。大きな刃を携えた、長身の、赤い鎧を付けた戦士に見えるように。子供らしい要望も取り入れたそれはあまりに華やかで兵器と呼ぶには些か玩具めいてすらいたものですが、とにかく私はそういう姿に決まりました。博士は寝食すら忘れて夢中で私の設計に没頭し、やがて設計図が完成するとそれをある民間の軍事会社に送りました。そうして精も根も尽き果てたようになると、博士は元からの病のために入院し、しかしそこから戻ってくることはなかったのです。
「なぜあなたがここにいるのですか」
戦場に。駆け寄る彼に私はそう訊ねました。私の開発には数年の時間を要しましたので、アスタルの姿は博士の記憶より幾らか大人びていましたが、瑞々しい肌の張りは彼の歳がまだ少年の域を抜けきらないのを示していました。アスタルは私が彼を認識していることに感動した様子です。屈託なく笑い、犬歯の先を覗かせました。
「お前に会いたくて」
彼は古びた手紙をポケットから取り出して見せました。裏には私の絵が書かれている。私はすぐに理解しました。
ああ、彼には文字が読めなかったのです。
その日、自分が二度と戻らないだろうことを知って、博士は部屋にこんな手紙を残していました。
『私の小さな協力者へ。私たちの夢のロボットはついに完成した。名前はテツジン。手紙の裏に簡単に絵をつけてみたが、どうだろう。はじめに見せたより随分格好良くなったんじゃないかな。なにも君を喜ばせるためだけじゃない。君と過ごしているうちに私はテツジンを人殺しの兵器ではなく、子供を守るヒーローのような存在にしようと思うようになったんだ。何しろこの国は貧しく、君のような孤児がそこいら中に溢れている。貧しさから抜け出そうと彼らの多くは兵士になる。けれど私のこの機械兵が戦争に行くようになれば、私はそんな運命から君を救えるんじゃないかと、そんな願いを込めるにふさわしい姿でこれを作った。
私の最後の作品にそういう社会的意義を見つけることができたのは幸せだった。私のテツジンが、君の未来を良いものにしてくれますように』
手紙には何度もしわを伸ばした跡があり、アスタルがそれを大事にしていたのがわかりました。けれどもその内容は理解されることはなく、彼を戦場に憧れさせるためだけにそうされていたようなのです。私が石を飲む想いをしたのはそのためです。
ただ博士がこのことを知らずにこの世を去ったこと、いずれ私も博士の記憶を忘れる予定であること、それだけは幸いに思うのです。
おわり
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