■1/8 インテにて委託の短編集『棘の町』収録の短編。再録


     お医者センセーの言うことには『日記を書きなさい』ってなことだったが、俺は字が書けないからお前に話してる……なぁ、これ録ってんのか?テツジン。まぁ、いい。お前に病院にいけって言われたときは、正直ムカついた。俺は昔のことを思い出して突然発砲したりしないし、悪夢だって見ない。でも職場の連中が、俺に「カウンセリングを受けては?」なんて言ってるお前の後ろで、拝むような態度で必死に頷いてるのを見たら、「行かない」で済まねーんだろうなって思った。俺は戦場暮らしが長いから、わかんねーんだよ。お前らの言う、「普通で平和な暮らし」ってやつが。例えば俺はもう人を殺さないし、今はレストランで飯を運んで働いている。まともすぎるくらいまともだよ、俺にしたらよくやってる方だ。でもそれだけじゃ駄目なんだろ?アイツらが時々、ぎょっとした顔をして俺のことを振り向いてんのを知ってんだ。トリシュナのことも、腫れモンに触るみたいに遠巻きにしやがる。……まぁ、そうだな。俺らが普通じゃないんだろ。戦争から帰った兵士の七割が精神異常者で、残りが元々異常だったヤツなんて話も聞くしな。ジョークだかなんだか、わかんねぇ。だから、仕方なくだ。新しい場所でやっていくのに、お前らの「まとも」ってヤツに習ってやろうって、そう思ったわけだ。病院にはそれで通いだした。

       *

     病院にいくのはそんなに面白いことじゃない。お医者センセーは俺にやたらと喋らせた。俺が「この話はあんま面白くねーな」と思って黙ったり、よく覚えてなくて話に詰まると『今、あなたの言葉がつかえたのは、そこに心的な傷があるからではありませんか?』なんて澄まして言いやがるから俺はムキになって、そんで俺は過去に何もわだかまりなんてないって風にペラペラ喋ったんだ。はじめて人を殺したときのこと、軍隊に入ってムカつくやつらに殴られたり、レイプにあったこと、補給が絶えて腹が減って死にそうになって、その辺の草を毟って食ったこと……全部たいしたことじゃない。お前や、トリシュナの話もした。「俺なんかよりよっぽど普通の暮らしになじめてない」ってトリシュナのことを言ったら、医者は、トリシュナのことも病院に連れて来いって言ったな。アイツは知らねーやつに会うのを嫌がるから、まぁ無理だろうよ。今朝も郵便配達に居留守を使うのを見たとこだ。

       *

     トリシュナの話をお前にしたことがあったか?アイツのことは、お前が戦場からいなくなったあと拾った。ガキだったな。まだほんの小さい。覚えてるか?あの頃は、民間人だか軍人だか構やしねぇ、どうせテロリストと見分けなんかつかねーっつうんで、手当たり次第殺してたろ。だからアイツの町についたとき、住んでたやつらはとっくに逃げ出して、アイツだけ火のついた家んなかで煤だらけになって大泣きしてた。親に「家から出るな」って言われたんだと。それで律儀に留守番してんだから、笑うだろ。足の先が燃えてるってのによ。鈍くさすぎて拾っちまった。まぁそれでよかったよ。厄介だったが、アイツがいて堪えられたことも沢山あった。

    ……家の中が静かだな、トリシュナはもう寝たのか?

       * 

     トリシュナが俺の診察券を枕の下に隠した。アイツは様子がおかしいな。俺が病院にいくのをやたらと怖がる。俺の留守が怖いのか?ここの連中と上手くいってないのは知ってるけどよ。一度、本当に病院に連れて行った方がいいかもしれない。テツジン、お前からも言ってみろよ。最近、めっきり部屋に立てこもってるアイツを外に出す方法がみつかればの話だけどな。


       *


     俺の薬をゴミ箱に隠したのはお前なのか?他に?他に誰がいるんだよ…………ああ、トリシュナ?トリシュナはどうした。そういえば最近、アイツの顔を見ていない。病院のことなら心配ない。毎週ちゃんとセンセーと『お喋り』をして、こうして『日記』もつけてるだろ。何の意味があるんだかわかりゃしねー。

    ……よくなった?ハ、なにも変わりゃしねーよ。ただ、俺がおとなしく病院にいってるからか?周りの連中がびくびくしなくなった。それだけだろ。


       *


    この間、俺が「最近トリシュナの顔を見ていない」って言ったら、お前がはぐらかすみたいにして「随分よくなりましたね」って言っただろ。あれから薬を飲んで寝ちまって、今の今までアイツのことを思い出さなかった。信じられるか?丸二日もだ。

     レストランの連中は、変な顔をしなくなった。どこかホッとしたようにも見えるな。そりゃあ、そうだ。俺がトリシュナに話しかけなくなったからな。包丁持って働いてる同僚が、急に空中に向かって怒鳴りだしたら誰だってビビる。……ああ、そうだ。もう分かってる。アイツは最初から存在しないんだ。気づいてみりゃそうだよな。戦場であんな小さい女のガキ、どうやって俺が連れ回してたっていうんだ?

    だけど俺は、お前がいなくなってやけっぱちになってた俺は、アイツが本当に居ると思ってたから、あと一歩のところで無茶しないで済んだんだ。あの小せぇガキを守るために俺は慎重になったし、休息を選んで、喧嘩を避けた。けど、そうすることで守られてたのは俺だったってわけだ。医者が言うにはアイツは、俺の生存本能が見せた幻覚だとさ。そんでそれは、俺が平和な世界でまともに暮らすにはもう要らないから、心が癒えれば消えちまうんだとよ。そうなのか。そうだったんだな……。

       *


     テツジン、起きろよ。『日記』だ。聞いとけ。なぁ、いいか?俺は今から戦場にいく。トリシュナがいなくなって二カ月だ。今じゃあ、もう殆ど顔も思い出せねぇ。けどやっぱりそれじゃ、あんまりだろ。アイツは俺の為にずっといたんだ。俺がのうのうと平和とやらのなかで暮らすためなんかに、なにも今更、消えなくたっていい。だろ?じゃあな、テツジン。薬はここに置いていくぜ。

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