(※後味の空しいばかりのテツアス。2018年5月スパコミの無配再録。)

     
     少し離れた場所で騒ぎがあった。私が顔を上げると小さな人だかりができていて、恐らく喧嘩らしい。血の気の多い人間が多いようだ。それが軍隊という組織の性質なのか、偶然ここがそうなのかは他所を知らない私には分からないことだ。

     いずれにせよ、軍事作戦中以外で起きる争いごとに私は関わる許可を受けていない。もう少し言えばそれは禁止もされていなかったが、そのときの私には日常的に頻発する暴力よりも興味のあることがあったのだ。私は手のひらに視線を戻す。片面に印刷を施されたアルミ紙片。それにカラメル色のキャンディーが包まれている。砂糖を煮焦がした匂いがして、おそらく甘い。菓子を手に入れたのははじめてのことだ。不思議と胸が温かくなる。私は人間の赤ん坊のように好奇心に満ち、夢中だった。キャンディーは夕べ、彼にもらったものだ。
     

     私の纏う防砂塵マントの中に何者かがするりと潜り込むのを感じたとき、その侵入者―アスタル・テイムはほんの十六か十七か、未だ少年を抜けきらない年の頃のように見えた。
     

     夜間のことだ。私はたったひとり野営テントの外に出て辺りを警戒していた。それというのも私がロボットで睡眠や休息を必要としないから、人が交代でここに立つよりもずっと効率が良いためなのだ。私の名前はテツジン初号。自立志向型軍用ロボット。管理番号ヒトーマルーニィーマル。今はこの総勢三十人程度の小隊に随行する唯一の機械兵だ。


    「今は、休息をとる時間ではないのですか? アスタル・テイム」


     私は眼前の闇を已然注意深く警戒したまま、問いただした。夜更けの訪問者はマントの下で忍び笑いをして、私の胸に額を強く押し付けている。ネコ科の獣のようだ。ならばこれは親愛の仕草だろう。私がなすがまま棒立ちになっていると、彼は私の足を蹴飛ばして少し乱暴に地面に座るよう促した。


    「知ってるけど、今日はちょっと寒いだろ」


     冷えた地面に直接触れないで済む工夫だろうか。アスタルは胡坐をかいて座らせた私の足の間に腰を下ろして座椅子のように深く私の胸に背をもたれた。


    「寒いのならテントのなかにはストーブがありますよ」

    「良い場所はもう取られちまったんだよ」


     拗ねたように唇を尖らせるアスタルを見て、なるほどそうなのだろうな、と私は思う。軍隊の序列というのは知らないが、まだ年若く換えの利く雇われ兵であるアスタルはここでは最も取るに足らない存在だった。私はアスタルが以前、エンジンを切った軍用車のシートで寝ていて怒られたのを知っている。あるいは携帯用の発電機の側で暖をとっていたことも。機械というのは、動くのにエネルギーを要するもので、それは熱を発するので動作を止めたあとでもしばらく暖かい。まして私は絶えず、重たい鋼鉄の身体を人並み外れた機動力で動かすためのエネルギー炉を胸に有しているので、鍵の抜かれたボロ車の座席よりはずっと暖かいのだろう。その事実は私を少し得意にする。私は自分がホロ付きトラックよりも有用であることをさらに示すことができると思って、マントを巻き付けたアスタルの身体を後ろから強く抱いてやった。はぁ!? と素っ頓狂な声を上げたアスタルが、驚いてしばらく腕を逃げ出そうともがいたが、やがて害はないのだと気づいたのか大人しくなった。代わりに物問いたげに後ろを振り向いて私の顔を覗きこんでいる。まなじりが尖っているので普段は険の強さばかりが目立つが、柔らかな頬のラインも痩せて細っそりした顎先もつくづくみれば他愛ない子供のようだった。ふとカラメルの匂いがする。


    「なぁ、いいもんやろうか」


     私がアスタルの短く千切れた睫毛に触れようとするとの殆ど同じくらいだ。アスタルはそう言うと、ふいと私の顔から目を逸らして彼のズボンのポケットを探った。あるいは触られるのを嫌がったのかもしれない。なんとなく胸の温度が下がったような奇妙な心地がして、私が彼の腰をより強く引き寄せるとアスタルは「あー、あー、少し待ってろよ! 」と慌てたように口にした。取り出したのは、ひと包みのキャンディーだ。彼が甘いものを好きなのは隊内でもちょっと有名で、いつも特徴的な棒付きのキャンディーを咥えながら歩いているのを皆が知っている。ただそのときアスタルが私の手に握らせたのは、棒の付いていない平たな円形をしたものだったが。私は食物を必要としない―私がそう言いだす前にアスタルはどこか得意そうに笑ってみせた。犬歯の目立つ顔だということに私は気づく。


    「特別だぜ」

     

     

     キャンディーはそうして手に入れた。私は食事をとることがないので、もちろん菓子の類も口にすることはなかったが、「特別」の言葉に興味を惹かれそのキャンディーを受け取って、今もその分析に熱中しているわけだった。包み紙を剥がす。艶のあるキャラメル色のキャンディーは、調べたところ砂糖とバター、乳成分でできている。特別という言葉とはおよそ程遠い素朴なものだ。けれど、不思議なことに―

     遠く人垣の隙間からアスタルと目が合った。私はこの特別なキャンディーについて彼に訊いてみたくなったが、彼がとても忙しそうだったのでそうしなかった。ただ遠目にも分かるアスタルの白い肌と、頬についた青痣とを黙って眺めていると、アスタルは夕べのようにふい、と顔をそむけてしまい私はまた胸のエネルギー炉が少し冷え込んだような気がするのだった。私はじっと立っていた。

     

     しばらくしてからざわついていた人垣は徐々に溶かれ、アスタルだけが残された。私はようやくそれで話しかけていいかと思って彼の元に近づいた。膝を折ってしゃがんだのは、彼が地面に伏していたからだ。


    「夕べからずっと調べていたのですが、アスタル。このキャンディーにはとりわけて特別なところが見つかりません。けれど不思議なことに、確かに、アナタがこのキャンディーを私にくれたとき、温かい特殊なエネルギーが私の胸に沸いたのです。教えてください。アスタル、特別とは、なんなのでしょう。心というものになにか関係があると思いますか?」


     私は彼の答えをじっと待った。待ちながら彼の薄い唇の表面が乾いて血が滲んでいるのを見た。血の気の薄い肌に浮かぶ青い痣を、睫毛の先が濡れていくつか束になって固まっているのを、甘いカラメルの匂いに誘われて蟻が彼の琥珀糖のような色の眼球の上を歩き、通り過ぎるのを見た。どれだけ眺めてもアスタルはもう顔をそらさなかった。私が彼にもらった特別なキャンディーの秘密に夢中になってる間に、アスタル・テイムはありふれた暴力のなかで死んでいたのだ。

     それで私は、アスタル・テイムが私にくれたありふれたキャンディーが、私にとってどうして特別になり得たのか未だに分からないままでいる。

     

     

     おわり
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