週末うちに泊まりにくる予定だろう。あれは無しにしてくれ。と告げると、当然ながら福富は電話の向こうで不満げな声をした。なぜだ。と訊かれて答えに窮する。あぁ、やはり訊くか。訊くよな。そりゃあそうだ。
「3日ほど前からだが、どうも、出るんだ」
「出るとはなんだ。ゴキブリかねずみか?」
「まさか。いや、違うんだ。言ってもお前は信じないだろう……」
俺はこの期に及んで、これを言うべきか迷っていた。それと言葉にして口にするのが怖くもあったし、恋人に臆病だと嘲笑われるのを恐れてもいた。だから言いよどむ。数十秒か、1分も、黙っていたか。はっきりしてくれ、と大分焦れた福富に促されてからようやく俺は切り出した。
「なんというか、あれは……おそらく、この世のものじゃないものだ」
俺の家に見知らぬ男の姿を見たのは3日前のことだ。俺が夜中に目を覚ますともうそいつはそこに居た。最寄りのバス停から徒歩2分のところに借りているアパートは8畳の洋室とその手前に玄関と地続きの4畳ほどのキッチンスペースがある。その台所のシンクあたり、こちらに背を向けて丸まるような形で男がしゃがんでいた。俺はぎくりとした。夜中に部屋に見知らぬ男の姿があれば、それはまぁ当然だろう。俺ははじめに強盗などを疑って、それからその割には男が家探しのようなことをせず、じっとそこにいるだけなのに不安を覚えはじめた。なにか声を上げたり、存在に気づかれることが憚られるようだった。もはや既に直感で、あれが人間でないことがわかっている……。
後ろを向いているのと、薄暗がりなので顔はわからないが、頭髪は白髪が混ざるのかまだらに見えて四十路がらみの中年といった様相だった。
「それから毎晩、夜になるとそこにいる」
だからお前、家に来ない方がいいぞ。俺がそう締めくくると馬鹿にしたのか呆れたのか福富は、ふんとひとつ鼻をならした。よくも悪くも取り繕うことをしない、こういう素直なところがある。
「だが金城。随分前からお前あのアパートには住んでいたじゃないか」
「それはそうだが」
「これまでずっと住んでいて、今更どうして幽霊がでるんだ」
本当の話じゃないだろう。福富の声の感じにはそういった響きがあった。せっかく静岡まで来てくれるというのを無下にされ、拗ねていたのかもしれないが。しかし俺はむっとした。
いや、本当だ。どんな姿かもはっきり言える。俺はむきになって男の話をした。背丈はこうこう、これくらいで、肉付きはこう。淡い色のポロシャツを着ていて、肌は浅黒い、そうだ、スポーツタイプの腕時計をして髪の感じは…
「あ、」
するとしばらく俺の話を聞いていた福富はそこで突然声を上げた。
「サトルおじさんかもしれない」
ここで本名を出すのは憚られるから、サトルおじさんと言うのは、今俺がつけた仮名だ。本当の名前ではないからここはサトシでも、マモルでもいい。とにかく福富は、昔世話になった親戚の名前をだして「それに違いない」と言った。
サトルおじさんは福富の父の弟で、子供の頃は不在がちな福富の父の代わりによく面倒をみてくれたのだと言う。厳格な父とは違い屈託のない性格で、縁日の屋台ではじめて林檎の飴を買ってくれたのもサトルおじさんだった。進学をして無沙汰をしているうちに、心筋梗塞で一昨年亡くなったというが、福富はずいぶん懐いていたらしい。俺の言う男の話を聞いて、福富はそれがサトルおじさんに違いないというのである。
「どうしてお前の叔父さんが俺の家に化けてでるんだ」
俺は憮然と福富に訊ねたが、すると思わぬ福富の答えに頭を掻く羽目になった。
「3日前に墓参りにいったから、そこでお前のことを話したんだ」
いつか彼女ができたなら兄貴より先に俺に教えろよ。くだけた気質の叔父さんで、そういったことをよくからかい交じりに口にしていたらしい。
彼女ではないが、恋人ができた。恋人ができたら真っ先におじさんに紹介するという約束だったから、会わせられなくて残念だ。もちろん、家族の前だったから口には出さず、手をあわせてそう念じただけだ。いい男だと言ったから面白がって見にいったんだろう……。
そんな風に福富に言われれば、俺は先刻むっとしたのを忘れて今度は照れに照れる一方だった。そうなのか。俺は布団もでないで息をひそめていたりして、恥ずかしいことをしたようだ。そんな風に思った。
そういったわけで結局、福富は予定通り週末に俺の家に泊まりにくることになった。
電話をしたその晩も台所に男は現れたが、俺も現金なもので福富の話を聞くともはや怖さはなくなって、酒が好きだったという福富の言に習いビール缶を横に差し入れたりした。
「福富、……寿一君とは親しくさせてもらっています」
俺がおじさんの後ろ姿に頭をさげると、おじさんは初めてこちらを振り向いたので驚いた。顔の形はやはり陰になってしまって伺えないのだがどこかうっすら笑ったようでもある。ああ、福富の懐いた人なのだなと俺は確信した。俺が、明後日は福富もこっちに来ますよ、と話しかけるとおじさんは満足そうにゆっりゆっくり頷くのだった。
金曜の夜に福富は新幹線で来た。迎えについた駅で見た福富の嬉しそうな顔ときたら。すっかり落ち着きをなくしている福富はこの家には何度も遊びにきているのに、俺が玄関の鍵を回すと、はじめてのように緊張しはじめて手の汗をジーンズの横で擦ったりするのだった。
既に夜になっていたからか、それとも福富を待っていたのだろうか、おじさんはいつものようにそこにいた。いつもは布団を敷く奥の洋室から見ていたから背中を見ていたけれど、今日は玄関から向かい合ったので正面からまみえる。
玄関に一歩踏み込む福富は、あ、と口を開いて足を止めた。黒目がちの強い目がじぃっとおじさんの姿に注がれている。呆けたように突っ立っている福富に俺が促すようにとん、と肩を叩いてやるとそこでようやく福富は我に返ったようでそっと、体を俺にもたれてきた。そうやって俺に低い声で囁いてきたんだ。
「違う、金城。知らない人だった。」
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