『風が吹きました』
屋外放送柱のてっぺんからスピーカーが告げたのでアスタルはハッと顔をあげた。捕虜になって3日が過ぎている。既に3日で充分な拷問を受けており片目はもうない。敵国も傍受しているラジオの乱数放送は、先ほどまで追悼の音楽を鳴らしていた。戦争で死んでいった兵士たちの家族にお悔やみを告げるため、また兵士の勇敢さを讃えるために。国家は兵士たちを盛大に弔うだろう、そういった内容が読み上げられた。声が入ったのは、それを遮る形でだ。
『風が』
放送は、そこで強制的に止められたらしかった。ブッと雑音がしてそれきり静寂になる。
アスタルの爪をペンチで剥がすのに専念していた敵国の兵士は、それが暗号であると察しただろう。アスタルの頭髪を掴むと引き寄せ「あれはなんだ」と訊いた。特別な傍受器を持ち運べない現場の兵士のため、公共の放送が指示に用いられることは別に変わったことではない。解読の為の乱数表は兵士が暗記をしている。男はここしばらく繰り返した質問を、再びアスタルに訊ねようとして、それからその表情に鼻白んだようになった。残った金色の片目に数十時間ぶりの光が宿っている。喜びから、アスタルは笑い声を上げさえした。
「ああ、聞こえたよ!ありがとな!」
風というのはアスタルが所属する軍の本隊のことで、吹いたというのはそれが動いた……負けを見込んだ戦線を放棄して撤退を決めたということなのだ。捕虜は見殺しにされることになる。
スピーカーが教えたのは「助けを待つな」ということだ。それを教えたのは実は大変なことだった。助けが来ないことが捕虜に伝われば、絶望から命乞いをし、敵に情報を売る者がでる恐れがある。それは軍にとって不都合だ。放送が不自然に途中で途絶えたのは取り押さえられたのだろう。当然のことだ。今のは流してはいけない放送だった。それだけに、アスタルは嬉しかった。あの無機質な機械音声の主をよく知っているだけに。
「テツジン!」
『友達』が来るはずのない救援を待って長い拷問に堪えたりしないで済むように、そんな風な愛情を機械兵が自分に見せたことが滑稽で嬉しい。奥歯の毒を噛み砕いて飲むのをアスタルはためらわなかった。
トランペットスピーカーは再び、当たり障りのない追悼の音楽に変わり、戦死者の名前が静かに読み上げられる。
「…アスタル・テイム」
約束が本当なら、死体は弔われるだろう。
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