社長は大変聡明で、それでいて白痴のように愚かにも思えた。特に貧富や生まれの区別が激しいこの街で、私のような卑しい男を構わず腹心にするような、そういうところは。
私は蛇の混血で、狡猾なので、10年以上も前から社長の皿に毒を混ぜていた。長い時間をかけて体と精神を蝕み、周りに気が付かれないよう、少しずつ子供のように物が分からなくしてしまう為に。同じ時間をかけて私は社長に取り入って、すっかり馬鹿になってしまった裕福な彼から、彼の財産や、彼の一族の名が持つ権力、彼がその恐るべく才能で世に普及させたオート義肢の販売権利などをすっかり奪った挙句に殺してしまおうと考えていたのでした。
やりくちが執念深く陰湿なのはやはり私が蛇だからでしょう。私が金網で隔てられた貧民区画から、富裕層の子供の通う学校を見上げて、いつかあの場所を奪ってやろうと野心を抱いたのは私が8つのときです。社長は、気まぐれでわがままな性格だったけれど、人種や貧しさで私を避けることはしなかった。それが隙でした。傲慢で尊大な性格を持て余されて、ひとりでいることの多かった幼い日のアゾットに私は金網ごしに話しかけ、彼が私を彼の遊び相手として両親に買い取らせるようにしむけたのです。王様のようなわがままと気まぐれに耐えながら、私は彼と一緒に育ちました。差別階層に生まれながらも、大学をでることができたのもそのおかげです。私はアゾットに張り付く為に、彼の継ぐであろう会社の手伝いをできるような分野を収め研究職に就きました。
毒は彼が15の頃から少しずつ食事に混ぜだしたのです。
7年程は、彼の頭脳にまるでなんの影響もないようでした。社長は常の奔放で子供じみた振る舞いからは想像できないほど利発で才覚があり、大学を出て会社の経営に携わるようになると、医療補助機器の分野で目覚ましく活躍し彼のダイハンド社は名を知らない者のない一大企業となりました。幼稚な振る舞いや軽率さが目立ち始めたのはそのあとからです。感情の発露が、おおげさで激しくなりました。小さな子供の発言にムキになったり、食事に嫌いな食べ物が出たと言って騒いだり。元より気難しい人なので誰も訝しがりませんでした。数年もするうちには、社長は語尾の伸びる呂律の妙な声で騒ぎ私を呼びつけて、髪を結うように命じるようになりました。甘いものがないと癇癪を起したり、椅子を蹴って足を揺らすようになりました。
子供じみた彼の振る舞いに、周りはすっかり呆れていて、社長の身の回りの世話をするのはもはや私ばかりになりました。私は社長の専任秘書として、役員たちからの報告を取り次ぎ、また重要な決定をアゾットに黙って社内に下すようになっていました。アゾットは昼も夜も眠っている時間が増えたので、私は彼の咎めを受けずにそういうことができたのです。もう目の前です。金網の向こうのおろかな子供をふかふかなベッドから追い出して、私が成り代わるのは。
けれど私はあまりに時間をかけすぎたのです。およそ十何年も、悠長に構えているべきでは本当になかった。
アゾットの知能が目に見えて衰えはじめたのに気づいたとき、私の胸をさしたのは後悔と寂寥でした。長い間、傍に控えて暮らすうちに、私はこの不遜で横暴な、賢い私の主をすっかり好きになってしまったのでした。社長はとても聡明で、気が合わなければどんな権力者にも無礼に振る舞うし、しかし生まれを理由には、大企業によくあるような半獣の差別非雇用を決してしなかった。
私はこの一年ずっと、社長の体に蓄積した毒から彼を救う方法を考えて来ました。彼から乗っ取った社の総力を上げ、彼に通わせてもらった大学で身に着けた知識を駆使して。そうして彼に敵わないと舌を巻いたのは、私が留守の間に彼が私の研究ノートにクレヨンで落書きをしたその内容が、まるですっかり彼を救う解決策そのものであったことです。
私は社長を抱き上げました。頭と同じだけすっかり体の弱った社長は「あ、あ、う、う」と赤子のような声をあげて嫌がりましたが、私が泣いているのをみるとその痩せた手で私の頬に触れました。
「ああぎ」
カラギ、と呼んだのでしょう。その数十分後、私が研究ノートを胸に抱き、医薬開発部に至急の連絡をとっている間にアゾット社長は毒性の高いクレヨンを誤飲して死んでしまいました。
新薬は開発後、多くの人を救い、ダイハンド社はさらに名声を手にしました。
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