「あの箱にたかが肉と骨を入れる為だけに?」

    テツジンが極めて不思議で理解できないという声を出したので、アスタルも全く同意だというように深く頷いて、少し離れた先に集まっている人群れに白けた目を向けた。
    「それで誰かが呪文みたいなのを唱えたらみんなでしばらく目を瞑って、最後には土に埋めちまうってだけの為にな」
    「奇妙な行動だと思えます」
    「葬式ってやつだとさ」

    面白いよな、と皮肉っぽく言う彼の頰は煤で真っ黒に汚れている。先ほどまで飛び交う銃弾を避け、地べたを這いずっていたせいだ。銃撃と空爆による土煙のなか、不意に地面に倒れ伏しそれっきり動かなくなった上官の死体を拾いに行って、安全なところまで持ち帰るというのがアスタルに下された命令だった。曰く、それは「きちんとした葬いをするため」だという。その為にアスタルは爆撃と銃弾の嵐のなか、命を賭して地べたを這い進む羽目になった。死んだ体を拾うために、生きた兵士に弾丸の下を潜らせる不合理。機械であるから余計に計算の合わないことが理解し難いのかもしれない。テツジンはとても驚いて、それで先の会話に繋がる。

    ―葬式なんてもんがなけりゃあな。
    アスタルが皮肉そうに嘲ってそう言った。あれは本当に滑稽なもんだ。物心ついた時から路地でゴミを漁り、酔っ払いのポケットからコインをくすめ暮らしてきたアスタルにとって、葬式という儀式は身近ではない。死体は凍えた冬の朝に無人の駅舎で放置されているべきものであり、あるいは夕暮れのドブ川から裸で上がったり、娼館の裏口から布に包まれて明け方こそこそ運び出されるもの。やがて制服を着たおまわりが車に積んで持ち去るものだった。
    だから丁寧に肉体を箱に入れて、土に埋め、魂の安寧を祈る……名誉のある人間はそうされなければならないのだと言われても、それが意味のあることだとは全くちっともピンときてなんかいなかった。ただ「葬式をするから死体をとってこい」と言われて、随分と馬鹿な命令だな、そう鼻先で笑ったくらいだ。

     さて、そんな風に弔いに意味を見出せないのはこの場ではテツジンとアスタルのどうやら二人だけらしい。正確には一人と一体が、取り残されるように人の輪から外れてやりとりをするうちに葬儀はいよいよ終盤に差し掛かるようだった。死体を詰めた箱が複数人に担がれてどこかに運ばれていく。運搬係の男が随行しているので、どうにかして故郷の土へ戻すのだろう。
    ……分からないことだ。改めてテツジンは思った。死体を運ぶために生きた人間が命を賭させられたことも、皆が死体ばかりを取り囲み、勇敢に任務を果たして帰還した生きた人間の傍には誰も寄り添わないことも。階級や立場で命が差別されている、という理不尽が機械であるテツジンに全て理解できたわけでもないが、それでも少なからず気まずさや同情というのは覚えることができたのだった。それで思わず労いの言葉をかける。
    「あなたは勇敢でしたよ」
    「なにが?」
    「危険な命令に誰もが尻込みする中、あなたは真っ先にひとり彼の元に向かったじゃないですか」
     ふっ、とアスタルの口元がニヤついた。テツジンはそれを彼の照れが表れたものだと感じた。いじらしく思い、彼の汚れた頬の煤を払ってやろうと手を差し伸べる。するとアスタルは顔を寄せ、声を小さく落とすのだ。

    「最初にたどりついたのが俺なら、殺しちまえるからな」
    「え、なんですって? 」
    テツジンは少し驚いて手を止める。アスタルは内緒話をする距離感で、テツジンの手のひらに頬を当てていた。
    「知ってるか? 戦場での死因の何割かは、味方に背中を撃たれたせいだって。あいつ普段から俺のケツを狙ってたしな」
    「つまりあなたがたどり着いたとき、彼はまだ生きていたのですか?」

     アスタルはいつも濃い色のサングラスをかけて目を隠している。間近に向き合って立つとテツジンの方が僅かに背が高いおかげで、今は上から隙間を見下ろすような形で彼のその両目が見えた。三日月型に意地悪く微笑んでいる。

    「どっちだっていいだろ。俺が持って帰ってこいって言われたのは『死体』だし、やつらは望み通りそれを箱に入れることができたんだからな」
    「なるほど」
     葬式なんてもんがなけりゃあな。
    アスタルはまた言った。そんなもんにこだわって俺にチャンスをくれなけりゃ、帰ってきたのは死体じゃなかったかもしれない。

    テツジンはどこか胸のすくような思いがした。この場の状況や価値観に馴染めていない者同士、アスタルに対して親近感が湧いているせいかもしれない。

    「誰かに言うか?」
    「いいえ。今起きている一連のことは私にとっても意味を感じられない……どうだっていいことですから」

    夕暮れが近づいていた。いつの間にか集まっていた人群れも解散し、あたりには誰もいなくなっている。居心地の悪いことは全部、どうやらそれでおしまいらしかった。



    おわり
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