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目次(死亡者一覧)
1人目…マカ
2人目…シュンカ
3人目…セリオ (※アーサ×セリオ)
4人目…ユウ
5人目…シャーシカ (※カックラス×シャーシカ)
6人目…グランキオの母(※ テツジン×アスタル)
7人目…アスタル (※テツジン×アスタル)
マカ
天蓋付きの広いベッドはスポンジケーキのようにふかふかで、それを飾りつけるみたいにシーツの上は美しい玩具で溢れている。音楽に合わせてゆっくりとバレリーナの人形が踊るオルゴール。本物みたいに喉を鳴らすことのできる、エメラルドの目をもつ猫のぬいぐるみ。金の鳥籠の中にはネジ巻き式の小鳥が歌い、ベッドの周りを行進するブリキの人形の心臓はダイヤモンドでできている。リボンとレースをふんだんに使った世界一贅沢なドレスを身に纏うわたしは、ベッドの真ん中でママの腕に抱かれながらうっとりとこの景色を眺めている。
ママはいつでもわたしのそばに居て、夢を見るとき以外、片時もわたしから離れようとしないから幸せだった。
わたしの名前はマカ・ニカ。ママはこのおもちゃの国、ホワイトイの女王さま。
こんこん、と控えめにノックの音がして、「女王さま」と囁く声がした。ママはいつでも眠そうで、ボーッとした目をして返事もしない。呼吸の音がゆっくりで単調だから多分本当に眠ってしまったんだろう。扉の外には複数の人の気配がして、しばらく様子を伺うようだったけれど、やがて応えがないのは分かっていたみたいな態度でぞろぞろと勝手に部屋に入ってきた。揃いの制服を身につけているので一目でこの城のメイドたちだとわかる。
「お休みになられてる? 」
「そのようで」
「じゃあ始めましょう。静かに、それにすばやくね」
ヒソヒソと囁き合う声。わずかに目配せをすると彼女たちは目まぐるしく働き始めた。窓を開けて外の空気を取り込み、汚れた食器を下げて、身だしなみを整えるために新しい着替えと櫛や鏡、装飾品を用意する。
メイドのひとりがわたしをそっと抱き上げた。スカートの裾が重たく揺れる。幾重にもレースが重なって膨らむスカートには星を砕いてまぶしたみたいに宝石のかけらが縫い付けられている。多分彼女は、それを見て堪りかねたみたいだった。吐き出すように声を上げる。
「ああ、それにしたって勿体無い! 」
ハッと息を呑む気配があって、その場にいる全員が鋭く彼女を振り返った。その視線に気づいてないのか気にしないのか、やりきれないみたいな顔をして、メイドは構わず言葉を続ける。
「マカ王女が身罷られてから、女王さまは堕落してしまったのだわ。……こんなおもちゃを王女さまなんて」
衣擦れのような音が細く鋭く鳴って、誰かがその先の言葉をかき消した。唇の隙間から細く息を吐いた『しぃーっ』という発話をとがめるための音。言葉を使わなくてもこんな風にはっきりと怒りや怯えを表すことができるなんて人間は本当に器用で表現力に優れている。
水を打ったようにあたりは鎮まり帰った。メイドたちは何か恐ろしいものに触れたみたいに互いの顔を見合わせていたけれど、やがて勇気を取り戻したようで、その後は押し黙って私の着替えに取り掛かり始めた。
髪をとかして大きなリボンを結びなおす。金の糸で刺繍を入れた美しい髪飾り。それにママがわたしのために用意したレースとフリルでいっぱいのドレス。元々貧しかったこの国が簡単に傾いてしまうくらい豪華で贅沢な服飾品。雲のようなふかふかのベッドの上で、ママは一日中わたしを抱きしめてどこにもいかない。何かを後悔するかのように。埋め合わせをするかのように。ここにいない誰かのために。
わたしはホワイトイの王女さま、マカ・ニカ。ママが作ったおもちゃの国のぬいぐるみのお姫さま。
同じ名前の人間の女の子がその昔、この国にはいたらしいの。
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シュンカ
本から届いた封筒を開き時間をかけてその中身を把握したシラットは「それじゃあ、シュンカは帰ってくるんだな」と思った。
どうせならもう少し早く戻ってくればよかったのに、そんなことを考えながら、とうに梱包を済ませあとは発送を待つばかりの荷物の山を振り返る。
「……すっかり無駄になってしまったな」
恨めしいような独り言は別に誰に聞かせようとしたものでもない。荷物の大半は日本で輸入雑貨店を営むパヤットの買い付け品だったが、そのなかにいくらか、個人的な贈り物としてシュンカのために包んだ品を紛れ込ませている。遠い異国の地で働く幼馴染が祖国の味を恋しがるかもしれないと思ったのだ。あえて贈答用の高価なものではなく日常的に親しみのある紅茶や煙草の葉をシラットは彼……いや彼女のために送っていた。
信仰上の問題のために、すでに成人しているシュンカが自分の生まれた国で女性の服を着て過ごすことは難しい。パヤットがシュンカを日本に連れていくと言ったとき、寂しいというよりは、よかったと思ったのはそのせいだ。シュンカの家族は彼女が十歳の時に、彼女を矯正することが難しいことを悟り、その背をひどく鞭で殴りつけ、気を失った彼女を山に捨てた。異国から流れ着いたパヤットが偶然シュンカを拾っていなければ、彼女は大人になることはなかっただろう。以来、家族の縁は切れている。故郷が恋しくても彼女に祖国の品を送ってやれるのはシラットしかいない。
「日本は自由で寛大な国だって思うの」
たまにビデオ通話で言葉を交わすシュンカは元気そうで、楽しく暮らせているようだった。誰も私をおかしいみたいに扱わないわ。……だったらどうして、こんなことになったのか。
シュンカが死んだと聞いたのは先日のことだ。事故で?病気で?現実を受け入れられないシラットが、パヤットを問い詰めるとパヤットはひどく言葉に迷った様子で「逆恨みのようなもので」とだけ答えた。他殺だったらしい。
それ以上の情報をパヤットが頑なに答えようとしなかったので、シラットは何かがおかしいと気がついた。それで密かに日本から情報を取り寄せたのだ。シュンカが死んだ日の、前後数日間の新聞と週刊誌を可能な限り。シュンカを殺した犯人は店を訪れた客のひとりだったらしい。店番をする彼女に目をつけた加害者は乱暴目的で彼女の帰宅の後をつけ部屋に押し入ったが、そこで自分の思い違いに気がつくと逆上して彼女を殴り殺したということだ。
言葉の意味を調べながら苦労して読み解いた日本の週刊誌は、ひとりの尊厳ある人間の命が奪われたということよりも、女装癖の男性がその正体がバレたために殺されたということを面白がるかのような書き方で、犯人が侮辱的な方法でシュンカの体を害したということまで記されていた。
そこまで読むとシラットはうめき声をあげてその週刊誌のページを握りつぶした。そうして長いこと顔を上げることができなかった。もっと早く帰ればよかったのに。どこへ行っても同じなら、こんな仕打ちを受けるくらいだったら。
故郷に帰っても迎え入れてくれる家族を持たないシュンカの遺体は、明日シラットの元に戻ってくる。
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セリオ
際の席に座って真剣な顔でセリオが何かノートに書きつけている。他のことで彼が机に向かうなんて槍が降ってもあり得ないからきっとレシピの研究だろう。普段は何かとやかましく子供のように落ち着きのない彼も、料理のことを考えるときだけは繊細で気難しい芸術家の顔をする。
「なあ、月替わりで出すハンバーグ、ソースはトマトとデミグラスどっちがいいと思う?」
趣味と仕事の境界が曖昧なのは、彼の姉であるリオラさんとあまり変わらない。定休日だというのに厨房に入り浸り、試作したソースの味に首を捻ったり、何種類もスパイスを並べて嗅いでみたり、しきりにメモを取ったりするうちに、そしてそんな彼を僕が眺めているうちに、あたりはすっかり陽が落ちて夕焼けが彼の赤毛をますます鮮やかに染めている。オレンジを帯びた輝くような赤い色。
「うーん、僕はやっぱりトマトかな」
彼の悩みを一緒に考えようと向かい側から近づいてノートを覗き込もうとした僕は、セリオが不意に顔を上げたことでフリーズした。思いがけず距離を詰めてしまったせいで驚いて、夕日を反射した目があんまり綺麗だったせいで、僕が密かにセリオのことを好きだったせいで―。体が強張ったのと一緒に脳みその方も固まってしまったらしい。僕は思わず彼に口付けてしまった。驚きに丸くした目。
は?と疑問を声にしたセリオの息が唇に当たる。
「……なんで? 」
「えっと……赤い色が、好きだから? 」
「なんでトマトソースなのかは聞いてねー」
ちょっと不機嫌そうに唇を尖らせるセリオは、眉間をきゅっと寄せて僕を見た。
「俺は相手に確認なくそういうことすんの、痴漢だと思ってる」
もっともだ。セリオの指摘に僕はすっかり胃が冷えて、ヒュッ、とかヒョエのような悲鳴をあげた。
「ご、ご、ごめん、セリオ。本当に……」
「俺のことが好きなのか?」
テーブルに両手を付いて立ち上がったセリオは、ずいと僕の前に足を踏み出し、至近距離から睨むみたいに顔を見上げる。成人しても子供っぽい顔立ちだからそんなふうにしても少しも迫力は出ないのだけど、今この場で僕を震え上がらせるには効果的だ。僕は両手を胸の前に組み、もはや拝むように必死にそれに頷く。するとセリオはつま先で伸び上がって、僕の唇にちょこんと唇を押し当てたから僕の世界はいよいよ静止した。
「俺は、ちゃんと確認とったからな」
いたずらっぽいにやり顔。僕はへなへなと腰を抜かした。
翌朝の市場の美しいこと。
新作レシピの研究に付き合ったら許してやると言われて、僕はへらへらと彼の買い物に付き添った。実質にはこれが最初のデートだと理解している。
「目利きは任せてよ」
美しいものを鑑別するのには自信があるんだ。僕が熱っぽく彼を見てそう言ったのにセリオはちっともピント来ていないようで、呑気な顔をしている。
「あーお前、鼻がいいもんな」
傷みにくいものから手に入れたいから初めにハーブと香辛料を買い付けて、その次は野菜、ひき肉は最後になるだろう。
「やっぱ、トマト?」
輝くような赤い色を手に取って、セリオが僕を振り返った。その問いかけに答えようとした刹那だ。市場の人群の向こうから悲鳴が上がった。焦げた車のタイヤの臭い。目の前で高く跳ねあげられたセリオの小柄な体躯。暴走するトラックが市場に突っ込んだのだということは、あとで新聞を見てから理解したことだ。
全部がスローモーションのようだった。空中に放り出されて、一瞬静止したみたいに見えるセリオが、転げていく野菜を目で追って、それから気の毒そうな目で僕を見た。多分同じことを考えたんだろう。揃ったな。ハーブと香辛料、熟れた赤いトマトと、ひき肉。きっとこの後の光景は僕のトラウマになる。僕はへなへなと腰を抜かした。
多分僕はもう一生、トマトソースのハンバーグを食べられそうにない。
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ユウ
揺れる車の後部座席でダンボールにまとめたキャンプ用の鍋やヤカンがぶつかり合い、ガチャガチャとむなしく音を立てている。夏休みシーズンも終わって需要が減ったんだろう、特に知識も下調べもなく立ち寄ったホームセンターでそれらしいものを思ったより手頃な価格で集められた。とはいえ俺はその使い方をろくに知らない。知らなくても別に問題じゃない、と知っていることが俺に器具の触れ合う音を余計に空虚に聞かせた。車は人気のない山道をずっと進んでいて、音楽もかけていないからステンレスがぶつかり合う音はずっと聞こえ続けている。
「ねぇ、『ユウくん』でいいんだっけ?」
ダンボールの箱を間に挟んで隣のシートに座る女の子が可笑しそうに俺に向かってそう言った。実のところ彼女とは初対面だ。いや、正確にはこうして顔を合わせるのは今日が初めてというだけで、SNSを通しては何度かやり取りをしたことがある。プロフに大学生だと書いていたのが本当なら、年は俺と同じくらいのはずだった。顔はそこそこ可愛いと思う。けど格別目立つってわけじゃない。俺の通う学校でだっていくらでも見かけるような、どこにでもいる普通の子。明るい茶色の髪の毛を鎖骨あたりで切り揃えている。彼女が着ているスモックみたいな形の白いブラウスは先の方に向かって袖が広がっているデザインで、手首の内側に引っ掻いたみたいな細い傷が何本も敷き詰められているのが見えた。普段から自分で写真に撮っては画像を投稿しているのを見ていたから、今更別に驚きはない。
「ユウくん……ってさ、普通っぽい名前。もしかして本名でしょ?」
くすくすと笑い声をあげる彼女は自分を「ルナ」と名乗っていた。都会の子は名前まで垢抜けているなと思っていたが、揶揄うように目を細める彼女の態度を見て、俺はこういうとこで本名を使うやつは珍しいのだと気付き頬が熱くなった。動揺したのを気づかれないように精一杯の去勢でなんとか笑い顔を作る。
「まさか」
あり得ないって。冷や汗をかく顔を手のひらで仰ぎながら俺はまた、他人に合わせているなと気がついた。いつもそうだ。
子供のころからの悪癖で、俺は他人に影響されやすく、流されやすくて、一度勢いに押されたらもう自分の意思でそこから降りることができなかった。キャンプセットを一緒に買うことで行楽に向かうように偽装した、練炭をしこたま積んだこの車を降りられないのもそう。
俺の隣ではしゃぐ彼女は自殺企図を繰り返しては、SNSを定期的に炎上させている人物だ。何度か通報沙汰にもなったらしく、その度に拡散されるせいで俺も目にする機会があった。最初の感想は、『個性的』だなというものだった。多分ちょっと文才とか、パフォーマンスの才能があるんだろう、厭世的で独特な世界観を持つ彼女の言動は、凡庸な俺にはちょっと格好よく見えたりもしたんだ。俺は自分ってもんがないから、過激なものにすぐ影響される。まんまと感化された俺は、世の中に対して別に絶望もしてないのに、悲観的な歌に浸ってみたり、うわべだけ真似して彼女に同調してみせたりして、そうこうするうちに彼女と親しくなった。「わかってる」なんて褒められる度に調子に乗って、彼女が好みそうな台詞をなぞるうちに、それが本当に自分の考えだって思うようになっていた。だからある日「仲間を集めて一緒に死のう」そんなことを言われて同意したんだ。
そこから先は流れるままだ。いつの間にか俺は彼女が呼んだ知らない男の運転する車に乗って、練炭を購入する割り勘に加わり財布を出して、使いもしないキャンプセットの隣でガタガタと揺れている。いまさらになって我に返った。俺はどうしようもなく後悔していた。
無理して特別な何かになろうとして失敗して―、なんだかこんな後悔を子供の頃にしたような気がする。
こういうのも走馬灯というものだろうか。あれは小学生の頃の記憶。俺は無個性な自分をやめたくて、無理して悪ぶろうとした挙句に盛大にスベって失敗し、とぼとぼと背中を丸めて家までの道を歩いていた。隣を誰かが歩いている。赤いランドセルを覚えているから女の子だ。低い身長、冴えない一つ結びの髪型。顔の印象はほとんど残っていない。だけど心配そうに俺に向けられた目と、台詞だけ不意にはっきり脳裏に蘇った。
「ユウくんは、そのままで十分、いいと思うけどな」
じわっと頬が熱くなる。俺はどうして忘れていたんだろう。あんなに嬉しかったのに。あの言葉を大事にできてたら俺は今、渡されたガムテープで自ら窓の隙間を塞ぐなんてこと、しないで済んだのかもしれなかったな。
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シャーシカ (※カックラス×シャーシカ)
完璧な頃のあなただったら、こんな私を見た時の最初の一言はもっと緊迫感のある雰囲気で、ロマンチックに必死に私の名前を呼んだんでしょうね。
「え」
月から落ちて粉々になった私を前に、カックラスが最初に言った台詞がそれだった。
「え、シャーシカ。死ぬの?」
ねぇ。やめてよ、それ。おかしくて笑っちゃうから。頭の悪い犬みたいに不安げに私の周りを歩き回るカックラスを見たら面白くて、だけど腹筋が揺れると振動で体のあちこちが響くから痛くてしょうがない。服を汚したくないのに、咽せて口から血が溢れる。カックラスはオロオロしながらそのうち私の横に膝をつくと、指先でちょんと私の服を引っ張って、捲れてしまった袖から手首が見えないように直してくれた。そう、あなたにはデリカシーがあるのね。大事な記憶や、人格の一部が失われても。
私たちの頭のツノは記憶の塊そのもので、欠けてしまうと簡単には元に戻らない。昔のことを思い出せないだけじゃない。記憶や経験の積み重ねがその人らしさを形成するものだとしたら、それを失うことはそのまま人格の欠損に繋がる。人間界に来るときに、ツノの大部分を破損したカックラスは元はすごく優秀で私の完璧な従者だったのに、今は人懐っこい可愛い犬ぐらいの知性しか感じない。
「ねぇ……、私の、私のツノはちゃんとある?」
体を酷く打ったから、全身の骨が砕けて腕を持ち上げることも困難で、自分で触ってそれが無事であるかを確かめることすらできない。私の言葉にカックラスはうるさいぐらい大きな声で「ある!」って叫び返した。
「ある、ちゃんとあるぞ。あるから、大丈夫だからな!シャーシカ!」
私を励まそうとしているみたい。力強く何度も繰り返す声に迷いがないから、私は彼が嘘をついてないのがわかってホッとした。
「そう。じゃあ、折って」
「え」
それ、二回目。私は全身の骨が砕けて死ぬんじゃなくてあなたに笑い殺されるんじゃないかしら。溢れる血が喉を塞いで苦しかったけど、おバカな従者に分かるように説明してあげる。
「あのね、私の髪と輝石でツノを繋いで……あなたの欠けを埋めてほしいの。」
私たちのツノは記憶の塊そのものだから。完璧で素晴らしかったあなたの記憶は、私のここに全部ある。きっとこれで完璧だった頃のあなたに戻れるでしょう。
「あげる、わ。全部……ね。」
シレンは消えるとき、勇者に消えない呪いを残す。まだ候補でしかない私は、そうね。あなたに「完全」を残すことにするわ。
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グランキオの母(※ テツジン×アスタル)
誰かが死んだらしい」ってのは、ここじゃあまりに聞き飽きた話だったから俺は最初それを適当に聞き流そうとして、それから聞き捨てならない言葉が出てきたことに驚いて思わずそいつの言葉を聞き返した。
「悪ぃ、今なんて言った?」
「だから、死んだんだ。毒食わされて。『テツジン初号の母親』にさ」
正確には殺されたってことらしい兵士のことは、名前を聞いてもあまりピンとこなかった。聞き覚えくらいはあったけど、あぁそういえば居たな、って思うだけで。そのくらい全く、俺にとっては取るに足らないヤツ。ただ「テツジン」って名前の方には俺は強い関心があった。この戦場最悪の殺人ロボ、機械兵テツジン初号。そいつの「母親」の話ときたら興味がわかないって方が嘘だ。
「テツジン初号の母親」というのは、俺たちの過ごすキャンプで今もっとも人気のある噂話のテーマだ。
ことは数日前に遡る。「テツジン初号」は戦場で自分のことを息子と呼ぶ老婆と遭遇した。敵さんの国の一般市民で、ほとんどの住民が逃げ出した後の無人に近い街のボロ屋にひとりで住んでいたらしい。目が見えなかったそうだ。その婆は自分を殺すために家に押し入ってきたテツジンの声を聞くと「その声はグランキオじゃないか」、そう言って、私の息子と呼び抱きしめたという。
俺はその話を直接テツジンから聞いて、噴飯ものだと笑ったもんだ。テツジンってのは、戦闘用人型ロボット兵だ。自律思考型で流暢に喋る、とはいえまるで機械丸出しのアイツの声は時報を告げる合成音声のように無機質で、息子どころか到底人間と間違えようわけがないからだ。それで俺は思った。多分、ボケてるんだろうな。その母親とやらは。
その後のテツジンがその可哀想な「母親」に勧められるままに食事をとり、その際に「今までにない感覚を得た」という体験談は感傷的な感動を呼び、俺たちの部隊でちょっとした話題になった。
母の手作りの料理を通して、機械の体に込み上げる熱のような、締め付ける痛みのようなものが発生して胸を満たした。老婆はそれをまごころと言ったのだと、テツジンはそう語った。
それで誰だっけか。元の話に戻るが、その婆に殺されたってやつのことだ。テツジンの持ち帰った話を面白がったそいつは、自分も「母親」にまごころの味を振る舞ってもらいたいって、出かけて行った。噂の家に。テツジンがはじめて上からの命令を無視して、人殺しをしないで帰ってきたっていう盲目の老婆の住む家だ。話によればそいつはまんまと母親に飯を奢らせることに成功したらしい。
「帰ってきたんだね。グランキオ」
老婆はやはりそう言って、自分を抱きしめて夕食を食わせてくれたと戻ってきた兵士は得意げに周りに吹聴した。そしてその晩には嘔吐と下痢を繰り返しながら長い時間苦しんで死んだそうだ。例の老婆は惚けたふりをして、憎い兵士を油断させ、まんまと毒を食らわせたっていう訳だ。これが「テツジン初号の母親に毒を食わされて死んだ」つー兵士の話の全容だった。
俺たちに対する復讐なのかもな。平和な日々を壊されたことに対してか、あるいは本当にいたそいつの息子が、俺たちのうちの誰かに殺されちまったのか。蓋を開けてみればなんのことはねぇ、テツジンが感じたのは生まれてはじめて食らった毒物に対する機体の異常反応だったんだろう。そう考えたら目が見えないってのだけは本当だな。テツジンの姿が見えていれば、こんな鉄で覆われた機械の体が毒なんかで死ぬわけねーってすぐに予想がついたはずだ。
「そんで、その婆はどうした?」
俺が気になってそう訊ねると、この話を持ってきた兵士はグッと拳を握って怒りを隠しきれないみたいな表情をした。
「もちろん探し出して殺したさ。簡単にじゃない。数人で出かけていって、まだボケたふりしてシラを切ろうとするそいつを床に引き摺り倒して、蹴って踏んで、動かなくなるまで痛めつけてやった。人の純粋な心の感動を殺人に利用するなんて、吐き気のする悪意だろ?」
俺はオチを聞いて大いに笑った。よくやったな、俺も誘ってくれりゃよかったのに。そう言って肩を叩いて労ってやった。本心だった。ただ「騙しやがって」とか「感動して損した」とかいうよりは、「アイツに変なこと教えやがって」という怒りから同調したってとこだけが他の奴らとは違ってたかもしれない。
テツジンの母親に関する話はこれで終わりで、みんなスッキリしてめでたし、めでたし……と思ったら、その後もしっかり余波があって、俺は頭を抱え込んだ。
「アスタル、もしよければこちらに来て座ってくれませんか」
ある日唐突にテツジンからそんな風に丁寧な招待を受けた。「母親」の悪い影響だろう。呆れた話だがテツジンは、まごころ料理に目覚めたらしい。鍋を掛けた焚き火の前に俺を座らせると悪戦苦闘の末、どうにかこうにか俺に一杯の椀を差し出した。生煮えの草の根っこが浮いた、飯とも言えないクソみたいなスープ。プログラムにはない、覚えたての言葉を辿々しく口にする。
「どうぞ、冷めないうちに召し上がれ」
多分、婆の真似なんだろう。玩具の見様見真似に感情なんざあるわけないが、その台詞はまるで俺に特別な感情があるかのように聞こえる。それでつい、たじろいだ。もしかしたらこいつは本当に、まごころとやらを手に入れて、人間みたいな感情を持つようになったんじゃないか……。
忌々しい婆だった。おっ死んじまってからもこうして、悪さを仕掛けるんだからな。俺はこのとき本当はテツジンに話そうとしていたんだ。「お前が母親のまごころだって思った熱はさ、俺たちを殺したいほど憎んでる婆がスープに仕込んだ猛毒だったんだぜ」
だけどテツジンがそのとき婆の真似をして、それがまるで心があるみたいに見えたから、俺は間抜けなことにこう思い込んだ。本当のことを聞いたらテツジンは傷つくかもしれないな。
それで老婆の嘘のことは飲み込んだ。
『まごころをもっと深く知りたい』、とあいつが俺の前から去ったのはそのあとすぐのことだった。こんなことならバラしてやればよかった、俺は怒りと後悔で叫び声を上げながら、テツジンが作っていったらしい婆の墓を踏み荒らし、墓標を蹴り付け、供えられた花を泥に叩きつけたが、そうしたところでもう二度とテツジンは戦場に戻らなかった。
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アスタル (※テツジン×アスタル)
神経を酷く損傷したのでアスタル・テイムは腰から下の感覚と両手の握力を失った。不良品と化した彼を本国へ送り返す船が到着するまでの間、彼にあてがわれた木製の車椅子はそもそもに重たく、アスタルはそれを自分で動かすことができない。障害を負った兵士の補助器具としてというよりは、邪魔なものを置いておく場所が他にないからというように、アスタルは重たい椅子と一緒にキャンプの隅に放置されていた。
「よぉ、テツジン。ちょうどよかった。押してくれ」
行き交う兵士たちから無視され、もはや動くことのない自分の両腿をじっと見下ろしていたアスタルは、それでも私が近づいてきたことに気づくと顔を上げて笑顔を見せた。笑うと犬歯が目立つ口元、普段は色の濃い防砂塵のサングラスをして険しく眉を寄せていることが多いから、こんな風に気さくな表情を浮かべるとき、彼がまだ十分年若いことに気付かされハッとさせられる。日差しがジリジリと彼の首を焼いている。いつからこの場所に居たのかは知らないが、襟元はびっしょりと汗に濡れて色が濃く、うなじの一部が軽い火傷のように赤く引き連れているのが見てとれた。日の位置に合わせて居場所を変えられないのは辛いだろう。私はひとつ頷いて、彼の車椅子の背中に回り、手押しハンドルをしっかり握った。
アスタルは教育を受けていないため決して学があるというわけではなかったが、よく機転が効く方だった。持ち前の身体能力の高さはもちろんのこと、その頭の柔軟さも彼の生存率を高めるのに大きな意義があっただろう。
作りが安っぽいためにすぐに加熱して命中精度の下がるアサルトライフルの扱いが私はどうも苦手だったが、アスタルは文句も言わずに上手にそれを使いこなした。私が苦戦して不平を漏らすのを聞くと、彼はサングラスの奥で目を細め「バカだな」と言ってよく私を揶揄った。
「こういうもんは最初から、ポンコツさも勘定に入れて使うんだよ」
そういう器用さと要領の良さがアスタルにはある。
けれどいくら彼が優れた兵士であろうと、またいくら悪運が強く生き汚い根性があろうと、最前線に立ち続ける限り、生活基盤を他に持てない身の上の限り、いつまでも無事でい続けることは不可能だ。とうとう復帰不能の負傷を抱えたアスタルは戦闘員の任を解かれたが、そうしたところでこれから身を立てる方法も彼を世話してくれるような身寄りもなく、故郷に戻されたところでどうせ飢餓や衰弱で死ぬのが目に見えていた。
「ひょっとして、殺されたいと思っているのではないですか? 」
彼の車椅子を押しながら、これらの現実と彼の気性を計算に入れて私が導き出した答えを先回りして彼に指摘するとアスタル・テイムは驚いたように目を瞬いた後、ニヤリと口の端を歪めて肯定した。
「できればお前の手でな」
やはり、と思って私は深く項垂れる。
「残念ながら、アスタル。私には安全装置がありますから、味方の兵士を害するような命令を聞けないようになっている。」
期待に応えられないことを申し訳ないと示すため、私がゆっくり首を横に振るとアスタルは意外にも気を落とす素振りを見せず、ケタケタと声を立てて車椅子のアームレストを叩いた。
「ばっかだね、お前」
「と、いうと」
「こういうのはポンコツさも勘定のうちだって」
前方から涼しい風が吹いてアスタル・テイムは鼻をくんと鳴らした。僅かに海水の飛沫を含んでいる。汐風だ。少しでもアスタルが快適になる場所を探して気温が低い方へと歩いていたから、海に近づいていたのだろう。この辺りは高地で、打ち付ける波が陸の下部を削るために岬は切り立ったような海食崖になっている。
アスタルは甘えるように首を傾けて、私を下から見上げるとすうっと細く目を細めた。
「押してくれ」
私は感嘆して頷いた。私の融通の効かなさをポンコツと称するなら、それを計算に含めた良い答えだ。
「なるほど、それなら私にも実行可能です」
向かうのは細い崖の端。その先に海が広がっている。
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