(テツジンとリオラの後味が悪い全年齢小話。2018年5月スパコミ無配再録。)
     


     姉貴が厨房で怒鳴っている。アレは愛のあるヤツだから俺は気にしたりしないけど。怒鳴られてるのは、新入りのテツジン。勉強熱心なやつで、いつも店を閉じたあと、ああして料理を教わっている。

    「納得ができません、リオラさん。アナタの指示通りに作っているのに、アナタと同じものにならないのは―」

     私に嘘のレシピを教えているからでは?

     よせばいいのに。テツジンがそう言ったから、姉貴の鉄拳がテツジンの頭に振り下ろされてガチンと鳴った。ああ、あれは痛いよな。いや、姉貴が。なぜならテツジンは機械兵だ。鉄で出来た動く人形。さしもの姉貴も、手を振って冷ましている。それでも威勢が下がらず、説教までするんだから大したもんだ。

    「だーかーらー、お前のは、心が足りてないんだ、心が! 」

     無茶をいうよな。もう毎日、こんな調子だ。テツジンがうちへやってきてから。

     あの日はびっくりすることばかりだった。動く機械仕掛けの兵隊が、俺たち家族のほんのありふれた小さなレストランにやって来たこととか、そいつがスープを口にして(……あれって食ったっていうのか? 俺にはよくわからない)、とにかく皿の底をスプーンで何度かすくったあと、ハッとしたみたいに席を立って厨房にいる姉貴に跪くと、まるでプロポーズみたいに「私に料理を教えてください」、そう言いだしたこととか。


    「私の記憶の、一番特別なスープと同じ味です。今まで長く旅をしてきましたが、どこにいってもこれと同じものには出会えなかった」

     機械で出来ているくせに、そのときのそいつはまるで興奮しているようだったな。感情があるみたいに。
    俺は姉貴がはっきりと断るだろうと思った。なんていったって、人の形をしただけのロボットだ。料理を教わりたいだって、俺には荒唐無稽な話に思える―。

    だけど、やっぱり俺が一番驚いたのは、姉貴がそれを承諾したことだ。「ブリキの兵隊さんなのね」いつの間にか、俺と一緒に陰から盗み見をしていたメルがうっとりと呟いた。俺はメルほど純真じゃないからそういう形容に憧れを感じたりしなかったけど、それが子供にとってロマンチックなものだということは分かった。もしかしたら姉貴にもそういう、なにか、心に響く部分があったのかもしれないな。多分こんなことは俺の勘違いだろうけど、たまに姉貴があれを見るときの目は、恋人に向けるみたいだから―。

    とにかく戦場帰りの機械兵、テツジン・グランキオはその日、俺たちのレストラン『コラール』の一員になった。



    ◇◇◇


     この美しい港町にレストランを経営する彼女、リオラさんは素晴らしい料理人です。それというのも彼女が、私が知る中ではたったふたりきりの、真に心のこもったまごころの味を提供できる人物だからです。

     私は、戦争のために作られた機械兵。通称をテツジン・初号と言います。今は訳あって『テツジン・グランキオ』とその名を改めていますから、どうかそのように。

    この町へは、ある目的のためにやってきました。私が戦場で兵士をやっていたとき、ありついた一杯のスープ。その味を求めて来たのです。とある貧しい町の老婆が、息子のために作ったスープでした。なんというか、不思議な。私には食事を消化する機能はありませんが、複雑なセンサーのようなものがあり、目の前の食事が果たして苦いのか、甘いのか、新鮮なのか、それらを総合してその皿が一般に美味か否かを判断することができます。しかし老婆の一皿は、私の感覚器を困惑させた。私に組み込まれたデータの、なにとも一致しない……けれどもそれを摂ると胸になにかこみ上げるようなのです。

    「これはいったい何ですか? 」

     私がそう訊ねると老婆はなにをいまさらと呆れたようにこれが「まごころ」だと教えてくれました。まごころ。不思議な響きです。老婆は、盲目であるがゆえに私のことを彼女の最愛の息子だと信じていたようなのですが、食事の相手を真に想う料理には、このまごころが宿るようなのです。なんと全く新しい概念でしょうか。

     それ以来、私はこの未知のエネルギーに夢中になりました。老婆が戦火に巻き込まれて死んだので、私はこの未開のエネルギーを追求するために戦場を離れたほどです。多くの国と町を旅してきました。「まごころ」とは母が子を想うような気持ちと聞いていましたので、その地域特有の家庭料理を看板に掲げるような、素朴なレストランばかりを狙って訪ねました。しかし、どこへ行ってもあのときのスープは見つからなかったのです。きっと、他人を想う気持ちがたりないのですね。あるいは料理人が私のことを本当の息子だと思って愛してくれなければ、あの不思議な力は宿らないのでしょう。まごころとは、本当に難しい―。

     そんな矢先に出会ったのです。ユーロピアの国の、リオラ・ガンド。彼女の料理を食べたとき、私の胸は満ちました。あのエネルギー。私がかつて戦場で口にした、まさにそれです。私は彼女に跪きました。そして私に料理を教えてくれるようにと乞いました。思うに彼女はこの世界で、ひときわ優しい人間なのでしょう。身内に配るような深いまごころを、彼女の店に来る食事客の全てに提供することができるのですから。

     なにより、きっと得体が知れない存在だったでしょう、機械仕掛けの私を、怒鳴りながらも追いだすことなく側に置いていることから、彼女がどんなに愛情深い人物であるかは窺い知れようものです。彼女は、素晴らしい料理人です。


    ◇◇◇


     アタシはその日テツジンを弟子にしてやって、このレストランにずっと置いておくことにした。アタシのスープを食べたから。スープの秘密を突き止めたがってたからだ。どこか他所に行ったテツジンが、『あのときのスープを再現したい』なんて思って、アタシの特別なレシピの秘密にたどり着いたり、誰かに言ってしまうのは嫌だからさ。

     まったく、なにかの罰かと思ったよ。その日、アタシの店に妙なやつ(テツジンのことだ)が来て、「特別なスープが食べたいのです」ってそう言った。アタシはそいつをじろじろ見た。そいつは機械で出来ていた。口のない、鋼鉄の兵隊だった。「特別なスープ」か。その言葉にアタシは心当たりがある―というか、どうしても思い出さずにはいられないんだ、四六時中アタシの頭の内を占めているモノのことを。それで思わず、出したんだ。アタシの知ってる秘密のレシピ。本当には、食べると思わなかった。食べる? 成分を解析することをアイツはそう呼んでるのか。そんなこと、知らないからアタシは考えてた。このお人形の食事ごっこに皿を出す。そんで、返ってきた皿の中身は捨てることになるだろう。捨てることができる。あの肉を、骨を。

     アタシには恋人がいた。このレストランを始めたのだって、本当はそいつの夢だったんだ。料理人になるんだって家を飛び出して、戦争ばかりの貧しい国に母親を残してきたことをずっと気にしてた。気の優しいやつだったんだ。それで、ふたりで金を工面して、店を開こうっていう前の晩だよ。嵐の日だった。その日はふたりで門出を祝して食事をしようって、まだ誰も入れていないこの店で約束をしていた。このコラールで。アタシが雨のなか震えながら店にたどり着くと、彼はテーブル中にこんなに食べきれないってくらいの料理を並べてさ、「寒かっただろう。温まるスープがあるよ。母が教えてくれた特別なレシピなんだ」そう言うんだ。

     食事は最高だった。この日のために取っておいたとっておきのワインも上等だったし、特にあのスープが、今までに口にしたどんなものとも違っていて、美味しかった。アタシがそう言うと、彼はそのスープにまつわる思い出を聞かせてくれた。アレは、貧しい国で、彼の母親が彼を生かすために作ったスープだという。


    「僕が生まれたのはすごく貧しい国だった。僕が母のお腹に宿るずっと前から戦争が続いていて、食べ物なんて自由に手に入らない。月に二度やって来る兵隊たちのトラックの前に並んで配給札を見せると、家族の人数に応じてほんのわずかの食料がもらえる。それも本当に少し。母が自分の分を我慢して子供に譲り、姉が弟に譲り、そうやって誰かが我慢すれば誰かを生かすことができる。そういうギリギリの量だ。満足に食べたい子供はある程度になればみんな軍隊に入るんだ。そんな暮らしを街全体で何十年も続けてる。異常だろう? 僕は戦争に行きたくなかった。料理人になりたかったんだ。暖かで明るい場所で提供される豊かな食事。そういうものに憧れていた。もちろん僕の生まれた国では難しい。飢えながら育ち、飢えをしのぐ為に鉄砲玉になって、そして死んでいく以外の生き方をするには、どうしても国を出なくてはならなかった。だけど誰もかれも生きていくだけでギリギリだから、そのために必要なだけの資金を生涯持ちえない……。だけど母は工面してくれた。配給で手に入る食料を殆ど全部お金に換えて。

     このスープのレシピはそのときに母が作った。小麦や魚がなくても飢えないよう、食べることができるように。なにもない国だったけれど、人の死骸だけはそこいら中にあったからね」


     さっきまで暖かく灯っていた食卓の火がふと消えてしまったようだった。アタシは彼が本当のことを言ってるのかどうか分からなかった。それで冗談みたいに弱弱しく笑ったと思う。

    「じゃあ、これは? この町には死骸はそうそうないだろ」

     空っぽになったスープの皿の底をスプーンで掬う。さっきまでそこにあったのに皿のなかに入っていたものがどんなだったか、アタシは思い出せない。

    「この嵐で運転を誤って、人をはねてしまった。夫婦のようだ。まだ若いのに申し訳ないことをしたと思っている。子供へ送るプレゼントの包みを腕に……だけど明日はこの店の開店日じゃないか。母が危ない橋を渡ってまで手助けしてくれた、僕の積年の夢をどうしても叶えなきゃいけない。……母が作ったレシピには、どんな風に死骸をバラしたらいいのか、食べられない部分をどうやって隠しておくのか、ちゃんと書いてあったよ。髪の毛を剃るのは可哀想だったけれど。青みのかかった綺麗な髪の人だった」

     なんて酷いことを!

     アタシは叫んだんだと思う。だってこんなときに黙っていられる性格じゃない。ちゃんとは覚えていないけど。すぐにカッとなる性格も、手が出るところも直さなくちゃって弟によく言われてたのに。アタシは反射的に彼を殴った。テーブルの上のものを手当たり次第彼に投げつけて、胸をめちゃくちゃに打ったり。暴れるアタシに彼は困ったんだろう。静かにするようにって取り押さえられて……アタシはすごく怖かった。それで落ちていたナイフを。

     人を殺したのははじめてだったけれど、そのあとどうしたらいいのかは、彼のポケットに入っていたとっておきのレシピが教えてくれた。彼のお母さんのレシピ。私のお母さんになったかもしれない人の。レストランには大きな冷凍庫があったし、アタシはそこに「下ごしらえをした食材」をしまっておくことができた。何食わぬ顔で、ずっと。


     それにしたってアタシはどうしてあれをテツジンに出してしまったんだろう。骨も肉も、誰かに料理して振る舞うことができなかったから、後生大事に冷凍して持っていたのに。あるいは、店の廃棄物として捨ててしまえばよかった。だけど私はあのレシピの呪いにかかっていて、この肉と骨は料理として振る舞われて、その工程を踏まなくちゃ無くすことができないような気がしたんだ。このレシピは験が良い。お守りだ。この通りにすれば必ず上手くいくんだから。だけど最後のひと工程――ひとに、人間に出すのは怖い。

    「私はこれを食べたことがあります」

     厨房にやってきたブリキの兵隊がそう言ったとき、アタシは凍り付いた。その声が、彼の声にそっくりだって思った。他のどこにいってもこれと同じものには出会えなかったって。そうだろう。

    「これは母が、私のために作ってくれた特別なスープの味です」

    まったくそのとおりだった。グランキオ。それはアンタの骨と肉のスープなんだから。それでアタシはまた、アンタをどこにやってしまうこともできないでいる。



    おわり
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